1人ひとりの「こころ」が
ゆっくりと交わる場所
神谷バー
店舗のご案内
1F 「神谷バー」のご案内

お酒を楽しむ方、下町情緒を味わいたい方におすすめです。
キリリと冷えたデンキブラン、きめ細かい泡の生ビール、
種類豊富なおつまみとお料理。
お一人でもお気軽にご利用ください。(入り口でチケットをお求めください)
客席はすべて禁煙です。
※喫煙ルームをご用意しております
2F 「レストランカミヤ」のご案内

ご家族連れ、グループの方のお食事に最適です。
デンキブラン、生ビールはもちろん手造りの洋風料理とデザ
ートが皆様をお待ち申しあげます。客席はすべて禁煙です。
※喫煙ルームをご用意しております
売店『神谷バー賣場』のご案内

雷門通りに面した「神谷バー賣場」で、
「デンキブラン」や「カミヤワイン」などのオリジナル
商品をお求めいただけます。営業時間 10:00〜17:30 火曜定休
デンキブランとは

明治15年、創業者神谷傅兵衛が生んだ浪漫の香り漂う
浅草を代表するカクテルです。
デンキブランいまむかし


神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、お
よそ百五十年の歳月が流れています。その間デンキブランは、浅草の移り変わりを、世の中の移り変わりをじっと見てきました。
ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで― 。
電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めてい
ました。
さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。
それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです。
デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝になっています。
あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気でした。ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度です。
大正時代は、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯十銭のデンキブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみでした。もちろん、今も神谷バーは下町の社交場。
仕事帰りの人々が三々五々、なかには若い女性グループも、小さなグラス片手に笑い、喋り、一日の終わりを心ゆくまで楽
しんでいます。時の流れを越えた、じつになごやかな光景です。
明治・大正・昭和・平成・令和、時代は移っても人の心に生き続けるデンキブラン。
デンキブランは下町の人生模様そのものです。一口、また一口とグラスを傾けると、時がさかさに動いて、見知らぬ時の見
知らぬ人に逢えそうな、そんな気がしてくるのです。
文学の中の浅草電気ブラン

浅草と文学のつながりはひじょうに深く、浅草からは、じつに多くの
名作が誕生しています。
たとえば永井荷風は、小説「すみだ川」で下町情緒あふれる隅田川界
隈を舞台に、美しくも哀しい人間模様を描き、その後昭和の初めには、川端康成が、浅草の最も華やかな時代を「浅草紅団」「浅草の姉妹」「浅草の九官鳥」など数編の小説に収めています。
このほか石川啄木、萩原朔太郎、高見順、谷崎潤一郎、坂口安吾、壇一雄…など、数多くの文学者たちが浅草に心惹かれ、何らかのかたちで浅草にその足跡を残しています。
さて、詩歌や小説のなかに浅草のここかしこが登場するわけですが、この神谷バーも小説のなかにふとその名をみつけるこ
とがあります。おそらく、明治十三年創業以来、つねに”庶民の社交場”だっただけに、ここには人々の喜びや悲しみ、つま
り庶民の生活そのものがあったのでしょう。
だから歌も生まれ、小説にも描かれたのです。
一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん
(神谷バァにて) 萩原朔太郎
これは大正初期、朔太郎が二十代の時に詠んだ歌です。
店内のざわめきをよそに一人静かにグラスを傾ける朔太郎、さぞやデンキブラン(当時は電気ブランデー)が胸深くしみたことでしょう。
昭和三十五年芥川賞を得た三浦哲郎作「忍ぶ川」、このなかにも神谷バーとデンキブランが登場します。「忍ぶ川」は青春小説として大きな感動を呼び、映画化もされました。
「でもせっかくの休みだから、栃木へいってきた方がよくはないかな」
栃木には志乃の父、弟妹たちがいるのである。
「ええ。…・でも、せっかくの休みだから、ふだんできないことをしたいんです。やっぱし、浅草へいきたいわ」
ー中略ー
「だけど、神谷バーってのはいまでもあるのかな」
「ええ、あると思いますわ。いつか栃木へ帰るとき、ちらっとみたような気がするんですの。映画見て、神谷バーへいって、あたしはブドー酒、あなたは電気ブランで、きょうのあたしの手柄のために乾杯して下さいな」
これは「忍ぶ川」の一場面。主人公と料亭「忍ぶ川」で働く志乃の会話です。共に不幸を背負う二人が胸をはずませて初めてのデートをします。もし、志乃の頬がバラ色に染まったとしたら、それは神谷バーのブドー酒のせいだけだったでしょうか。
年代ごとの価格

デンキブラン(1杯)の価格の移り変わり
- 明治
43年7銭 - 大正
13年8銭 - 昭和
元年12銭 - 昭和
24年50円 - 昭和
25年45円 - 昭和
26年47円 - 昭和
27年50円 - 昭和
44年60円 - 昭和
45年70円 - 昭和
47年80円 - 昭和
48年100円 - 昭和
49年120円 - 昭和
50年150円 - 昭和
54年180円 - 昭和
55年200円 - 昭和
59年230円 - 平成
3年250円 - 平成
9年260円
神谷バーの歴史

明治13年創業 浅草一丁目一番地。
多くの文豪たち
にも愛されてきた、日本初のバー。
沿革




1880年(明治13年)4月
初代神谷傅兵衛浅草区花川戸町四番地にて、「みかはや銘酒店」を開業。酒の一杯売りを始める。
1881年(明治14年)
輸入葡萄酒を再生し販売を始める。
1882年(明治15年)
速成ブランデー(現在のデンキブラン)の製造販売を始める。
1912年(明治45年)4月10日
店舗の内部を西洋風に改造し屋号を「神谷バー」と改める。

1921年(大正10年)
神谷ビル(現在も使用している建物)落成。
1949年(昭和24年)3月1日
株式会社神谷酒場設立。
1960年(昭和35年)
洋食部門の営業を始める。
1963年(昭和38年)2月24日
株式会社神谷酒場を神谷商事株式会社と改める。
1970年(昭和45年)5月21日
3階に割烹を開店。


1980年(昭和55年)5月14日
新館落成。
2004年(平成16年)2月23日
1階に神谷バー賣場を開業。

2011年(平成23年)10月28日
神谷ビル本館 登録有形文化財に登録。
2013年(平成25年)12月
耐震補強工事 完了。
営業カレンダー
休業日浅草の行事※浅草の行事は変更されている場合がございます。
定休日:火曜日、毎月2回月曜日
営業時間:11:00~20:00
(19:30 ラストオーダー)
クレジットカード:可 (1F神谷バーを除く)
デビットカード:不可
アクセス・交通

- • 東京メトロ銀座線 浅草駅下車 3番出口 徒歩1~2分
- • 都営地下鉄浅草線 浅草駅下車 A5番出口徒歩1~2分
- • 東武スカイツリーライン 浅草駅下車 正面出口 徒歩1~2分
- • つくばエクスプレス浅草駅下車 A1番出口 徒歩約10分
〒111-0032 台東区浅草1丁目1番1号